東京と言う街は、遠方より訪れると魅力的に映る部分があり、居住してみるとさほど魅力を感じない。
他方、遠方より訪れた結果、「あ、そんなに言うほどでもない」と言う感覚に落ち着く場合もあり、
居住して見れば、「案外いいじゃん」と思う場合もある。
そんなこの日本の首都。東京。
複数の「中心街」が存在し、その街ごとに、色が全く違って見えてくる。
ここも、その色の一つ。東京都の臨海地区にほど近い場所。
海の側にある商業地区の端。大きな臨海公園の一角。765プロライブ劇場。
一気に視点をその劇場の中に移してみると、一人の女の子が、紙の束を両手に持ち、足をブラブラとさせながらその束を読んでいた。
765プロライブ劇場のアイドルの一人。中谷育。
「うーん…ここできがえて…かみてから出て…あれ、かみてってどっちだっけ…?」
765プロダクションの所属アイドルとしては最年少の10歳。
小さな体を目一杯使って、楽しそうに歌う姿で多くの観客を「ほっこり」させていることでちょっとした話題になっているアイドルだ。
「えーっと…きゃくせきから見て…」
ちなみに余談だが、上手というのは客席から舞台を見た時の右側を指す言葉で、実際プロとして多くの舞台に立っている俳優でも、時々一瞬間違えそうになってしまうこともあると言う。
「客席から舞台を見て、右側が上手なのですよ、育ちゃん。」
育が座っている椅子の後方。控室と呼ばれているこの部屋の入口の方から声が聞こえてくる。
「まつりさん!ありがとう!ちょっとこんらんしちゃったんだ~。」
育は嬉しそうに、その助言をくれた相手…徳川まつりに礼を述べた。
「いえいえ、どういたしまして、なのです~!…次の台本を読んでいたのです?」
「うん!もうすぐライブだから、ちゃんと”だんどり”を覚えなくちゃ!」
育が読んでいたものは、次に育が出演する公演の進行台本。
各楽曲毎の立ち位置や、楽曲間のMCで話す内容、登場位置や衣装の着替え指示など、様々なことが書かれている。
「まつりさんは、レッスンもうおしまい?」
「そうなのです!今日もびゅーてぃほー!なレッスンになったのです~!」
「やっぱりまつりさんはすごいなぁ~。私もまつりさんに負けないアイドルになりたい!」
純粋な瞳で、育はまつりを見上げる。
「そんなことは無いのですよ?育ちゃんも、わんだほーでびゅーてぃほーなアイドルなのですよ!」
「えへへ…うれしいなぁ。」
これは決してお世辞ではない。と、まつりは頬を少しだけかく。
と、育の表情が少し変わった。
「…?育ちゃん、なにかあったのです?」
「うん、ここなんだけど…」
育は素直に台本を見せ、大人であると思っているまつりに、引っかかっている所を聞いてみることにした。
「このMCの、”お出かけで楽しかったこと”ってところなんだけど…」
育の表情が少しだけ曇る。
「さいきん、学校から帰ってきたらすぐにお仕事に劇場に来て、お仕事が終わったらお家に帰ってって感じだから、お出かけってさいきんあんまりしてないんだよねー…何はなしたら良いかな?」
まつりも思わず考え込む。
最近、自分も含めてアイドルたち全員が注目を集め始め、テレビやラジオ、雑誌など様々なメディアへの出演機会が増えているのは確かだ。
育はまだ10歳ということもあり、子供向け番組やティーン誌など、まつりとはまた少し違うフィールドでの仕事が多く入っていると聞いている。
それに、当然のことだが学校もある。そうなると、「お出かけ」の時間はなかなかとることは難しいだろうと、推測することは割と容易なものだと思う。
「育ちゃん、この前のオフは何をしていたんです?」
当たり障りのない質問だが、これで「MCのネタ」問題が解決すれば御の字である質問。
しかし、育はしばらくうなり、記憶を辿った後、
「学校のおともだちと、一緒に公園で遊んだ!」と、元気よく答えた。
公園かー…お出かけといえばお出かけにもなりそうなものだが、恐らく彼女の中では「お出かけ」の範疇に入らないのだろう。まつりはそう結論づけ、質問を変えた。
「じゃあ、前にお父さんやお母さんとお出かけしたのはいつか覚えてるのです?」
「うーん…わたしもお父さんもお母さんも予定があわなくて…半年前くらい?」
「そうなのですかー…」
うーん、これは困ったとばかりに、まつりも考え込んでしまった。
別に半年前のお出かけが「最近」と言い張ることも一つの手ではある。
しかし、恐らくまつりが見ている育の雰囲気から察するに、「最近」はもう少し近い日時を指したいようだ。
これはなかなかの難題だなぁと、少し考えた直後。
「…それなら、今からお出かけ、するのです~!」
「え?今から?」
もちろんこれが、18時を過ぎているようであれば、まつりも考えつかなかっただろう。
だが…
「今日は育ちゃん、この後予定あるのです?」
「え、ううん。今日は朝のしゅうろくだけで、だいほんだけ読んで帰ろうって思ってたから…」
すなわち、午後はオフ。
「わんだほー!まつりも、今日の午後はオフなのですよー!だから、お買い物に行こうって思っていた所だったのですが、良かったら育ちゃんも一緒に行くのです!ね?」
突然の提案に、驚きを隠しきれないが、お出かけ自体はしたいし、まつりが何を買いに行くのか、その興味もある。そこで、一旦こうすることとした。
「ちょっと、お母さんに聞いてみてもいい?」
先にも言ったが、育はまだ10歳。
まつりは19歳で、もちろんシアターの仲間として、「大人」として信用しているが、親に言わず勝手に行くわけにもいかない
「もちろんなのですー!あ、だったらまつりはプロデューサーさんに確認しておくのです♪」
と、まつりはスマホを取り出し、プロデューサーに連絡を取る。
内容はシンプルに、「この後育ちゃんとお出かけしてもいいのです?」というもの。
育も携帯を取り出し、自宅に電話をかける。
「あ、もしもしお母さん?ちょっとお願いがあるんだけど…」と喋りながら控室を出る育。
別にそのまま喋ってもいいのに…と思いつつ、まつりは育の結果を待つ。
と、そこへ自分のスマホが鳴る。
「はい、もしもし。」
「あ、まつりちゃん、お疲れ様。音無です。」
「小鳥さん!お疲れ様なのです~♪どうしたのです?」
「あぁ、今プロデューサーさんが社長と会議しててね、まつりちゃんに伝言をって頼まれたのよ。」
「さっきの連絡の件です?」
「そう。育ちゃんとお出かけはしてきてもいいけど、”あんまり遅くならないように気をつけてやってくれ”
だって。」
「それはわんだほー!なのです~♪」
「あぁそれから、”良かったら今日のお出かけの模様を、写真に撮って劇場のブログに掲載してくれ”ですって。」
「お任せあれ、なのです!せっかくのお出かけ、楽しむのです!」
「えぇ、気をつけて行ってらっしゃい。あ、育ちゃんと美咲ちゃんにもよろしく言っておいてね。」
「はいなのです~!」
…別にテキストで送ってくれてもいいのに、と、少し思ったが、こうやって話すことは悪いことじゃない。
などとまつりが考えている間に、育も戻ってきた。
まつりに一直線に走って来て、興奮した様子で
「まつりさん!お母さんが行ってもいいって!まつりさんと一緒だって言ったら、”楽しんで来てね”だって!」
と、母親からの伝言を伝えた。
「良かったのです!それじゃあ、早速お出かけに出発なのですー!!」
「おー!!!あ、でも…」
「ほ?どうしたのです?」
「まつりさんのお買い物って、どこに行くの?」
「ふっふっふー…それは…まつり姫御用達の、とってもわんだほー!な所なのですよ~♪楽しみにしていて下さいね?」
「むー…教えてくれたっていいのにー。」
「きっと育ちゃんも気に入ってくれると思うのですよ。ね?」
「うー…じゃあ楽しみにしてる!」
「わんだほー!それじゃあ、姫の秘密のお買物スポットに向けて~出発しんこう~!!!なのです~!!」
「おー!!」
元気よく腕を上げて気合入れ。ライブの前とは違う、楽しい所へ向かうときの掛け声。
その掛け声を掛けた後、二人は控室を後にした。
その後まつりが書いたブログには、まつりがお気に入りの雑貨屋で目をキラキラとさせる育の姿が投稿され、
育も公演のMCで、この時の話を楽しそうに話し、MCの時間を少し押してしまうくらいに盛り上がった。
そして、共演した他のアイドルから、「えー!私とも一緒にお出かけして~!」とせがまれるのだが、
それはまた、別のお話。