【ミリオン】In spring one sleeps a sleep that knows no dawn.【りつみや習作】

765プロライブ劇場。近年芸能界にて一目を置かれるアイドル事務所となった765プロダクションが打って出た「次の一手」と言われる劇場。

ここには、765プロダクションに所属している、通称「765PRO ALLSTARS」の13名の他に、「39プロジェクト」と呼ばれる39名のアイドル達が所属し、公演や外部の出演に向けて日々レッスンを行っている。

 

ある晴れた日の昼下がり。楽屋口の扉が開く。そして、少し疲れた声色で、「おつかれさまでーす…」という声。

今日は劇場公演が無いので、特に返事は返って来ない。扉を閉め、入館証を機械にかざす。

ピッと言う音が鳴り、入館したことが機械によって承認された。

「出入りする人も増えたことだし…こういう所はちゃんとしないとダメよねぇ…」

とひとりごちた秋月律子は、入館証を仕舞いながら、てくてくと歩く。

普段よく訪れる事務所よりも立派で長い廊下。

彼女の履くヒールが、リノリウムでできた床を叩く音だけが響く。

 

楽屋口から見て3つ目の扉を開く。「お疲れ様でーす。」と問いかける。…誰も居ない。

「全く…相変わらず散らかってるわね…」

まるで小姑のような言い回しになってしまうが、思わず口をついて出てしまったのだから仕方がない。

テーブルの上のものを少し片付け、カバンを置き、資料を取り出す。

特に飾り気の無いビジネスバッグ。しかし、タブレット端末をはじめとした様々な仕事道具が整然と整理され詰められているカバンの中から出てきた資料は、3つの封筒だった。

中には、近日実施される公演の進行台本、セットリスト、使用される楽曲の楽譜と歌詞、そして、公演の概要を書いた「公演概要書」。

2つは公演のメインを担当するアイドルの、残り一つは、その公演の陣頭指揮を担当するプロデューサーの分だ。

 

「えーっと…あ、ここと…ここか。」

アイドル達それぞれに割り当てられた引き出し。ここに重要な書類を入れるのが、彼女が作ったルール。

アイドルの半数以上は、まだ学校に通い、全員が必ず毎日劇場や事務所を訪れるわけではない。

だからこそ、この引き出しが重要なのだ。

この引き出しには、プロデューサーや律子、事務員の音無小鳥、青羽美咲など、事務所側がチェックを行ったファンレターも投函される。

それ故に、アイドルたちは自分が劇場に来たらいの一番にこの引き出しを確認することが、今となっては日常となっている。

「これでよしっと。…それにしても…」

誰も居ない。鍵が空いていたところを見ると、恐らく美咲は出勤している。…チケットボックスの方だろうか。

せっかく来たのだから、挨拶くらいはしておきたい。律子はカバンを置いて、部屋を出た。

 

「あれぇ…?おっかしいわねぇ…」

劇場内をくまなく見渡したが、誰も居ない。劇場事務室も、楽屋も、レッスンルームも、客席も、舞台袖も、ロビーまでも。

どうやら美咲は正面だけを閉めて、楽屋口を閉め忘れた状態で出かけているらしい。

「全くもう…いくらなんでも不用心すぎるでしょ!帰ってきたら言っておかなきゃ…」

一応765プロの先輩には当たるわけだから、注意しても別に変では無いだろう。

むしろ近年の安全管理と言う話を考えると、外出時に鍵をかけない事は企業にとってのリスクでしか無い…

いろいろと理由を思い浮かべながら、階段を上がっていると…

「あれ、もしかして…」

その違和感は、風だった。

階段に風が吹く条件など限られている。その一つが、屋上の扉だ。

「やっぱり…もう。お説教追加しなきゃ。」

この屋上は、通常は公演開催時、舞台周りのスタッフ用の喫煙所として開放されている。

近年の法制度や情勢や、未成年者が多数を占める環境という事を鑑みると、全館禁煙でも良いのだが、

プロデューサーから「それだと、喫煙者の割合が多い舞台スタッフには良くない」と言う提案から、屋上を喫煙所として開放しているのだ。

しかし、今日は半分休館日。舞台スタッフがいないときは、基本的に開けることが無い。

「誰かいるのかしら?」当然の疑問だ。

もしも関係者じゃない者がいるなら、すぐに警察と警備に連絡が必要だし、

プロデューサーだったとしたら、お説教の一つでもくれてやろう…などと、いろいろにパターンを考えながら扉を開ける。

 

春先の少し冷たい風が、律子を出迎える。太陽は出ているが、そこまで暑くもない。

「ん~っ…はぁ…なんだか気持ちいいわね。…あら?」

何かを見つける。いや、この場合は「誰か」を見つけた。

「…もう。気持ちよさそうにしちゃって。」

屋上のフェンスの近く、劇場の看板で日陰になっている所に、宮尾美也は眠っていた。

すぅすぅと小さな音を立て、とても穏やかな表情で眠っている。

「…こんな顔見てると、怒る気にもなれないわね。」

律子はすっかり牙を抜かれてしまい、美也の隣にしゃがみ込む。

美也は変わらず、小さな寝息を立てながら、気持ちよさそうに眠っている。

「全く。こんなところで眠ってる子には…えいっ。」

律子は、指先で美也の頬をつつく。

「ん~…私はおもちじゃないですよ~…」

「…どんな寝言言ってるのよ…」

思わず寝言に突っ込んでしまう。

ちょんちょん、ちょんちょんと、繰り返し美也の頬を指でつつく。それでも起きる気配がない。

「…美也って、今日は…」

ふと気になり、律子はポケットに入れてある携帯を取り出す。

自分を含めた全員のスケジュールを、誰かに見られても差し支えない程度に改変して入力しているのだが、

「朝10時からナレーション録り…昼はダンスのリハーサル…」

昨日のスケジュールを見てみる。

「朝からリハーサル、イヤモニチェック…合間にテレビの出演…夕方からラジオの収録…」

試しに、美也のスケジュールだけを表示させてみる。

「…ここの所、次の公演の準備もあって、休みの日数が少なかったのか…そりゃ疲れちゃうわよね。」

律子は携帯をポケットに仕舞い、今度は美也の横に座り込む。

「…たまには、こういう時間が無いとダメよね。」

そっと美也の頭を撫でる。少しくすぐったかったのか、美也は少しだけ身体を捩り、再び寝息だけが返事をした。

「今日はこの後スケジュールも無いみたいだし、もうちょっとだけ休んで行きなさい。…って、寝てるんだから聞こえないよね。」

言い終わってから自分でつっこんでしまう。

「律子さん、ありがとう…」

「え?」

確かに返事をしたように感じた。思わず美也の顔を覗き込むと、彼女は再び穏やかで静かな寝息を立てていた。

「全く。本当に掴めない子ね、あんたって。」

小さく笑い、美也の頭を撫でる律子。

 

 

「…さん。り…さん…りつこさん…律子さん?」

意識が少しずつはっきりしてくる。目がゆっくりと開く。

少し身体が強張っているようなので、伸びをする…

「あれ…私…寝てた…?」

「律子さん、おはようございます~。」

「あぁ美也…おはよう…」

違和感。いや、意識が清明に戻ってきた所で、急速に現状を把握していく。

現在地、劇場の屋上。頭上の天候と太陽の位置、晴れているが日没近くと推測出来る。

記憶の断片をつなぎ合わせる。さっき携帯を見た時の時間は「14:45」だった。

「あぁあ!?私寝ちゃってたの!?」

大慌てでその場に居た美也に確認を取る。

「はい~。律子さんも、お疲れだったんですね~。」

のんきな返事が返ってくる。

「やっちゃったー…書類を置いて、挨拶したらすぐ事務所に戻るつもりだったのにー…」

特段スケジュールに差し障りは無いが、大人として、業務中に居眠りをしてしまうなど、

とても褒められたことではない。そんな事を考えていると、

「律子さん。たまには、の~んびりお昼寝するのも、良いと思いますよ~。」

このマイペースでゆったりとした癒し系少女と来たら、あっさりと言ってくれる。

「全く…そう言うわけにも行かないでしょ。美也も、起きたんだったら起こしてくれればいいのに。」

八つ当たりにも程があるものだが、良いか悪いかで言えば、良いとは言えない行為であることに間違いは無いと推定できる。

「はぁ…まぁいいや。ちょっとだけスッキリしたし。事務所に帰って、仕事しなきゃ。」

「あれ~、もういっちゃうんですか~?」

「当然よ。まだ仕事が残ってるからね。」

「残念ですね~。お仕事、頑張って下さいね~。」

ありがとう…と言いたい所だが。

「美也。あんたもそろそろ帰りなさい。真っ暗になったらこの辺、一人で帰らせられなくなるから。」

そう。目の前の少女は、17歳の現役アイドル。

いくら劇場からとはいえ、この周辺は夜になると人気が少なくなってしまう。

そんな中を一人で帰宅させるのは、事務所の管理体制に問題を抱かれてしまう。

「ありがとうございます~。じゃあ、律子さんも一緒に帰りましょう~。」

「そうね。途中までになるけど、それでもよければ。一人より二人の方が少しは安心だものね。」

少々彼女のペースに乗ってしまった感は否めないが、律子と美也は屋上から降り、控室に降りてきた。

「あ、律子さん、美也ちゃん!屋上に居たんですね~!お疲れ様です!」

待っていたのは、劇場事務員の青羽美咲。手には、大きなトマトの絵が書かれたビニール袋。

どうやら、衣装用の生地を買ってきたようだ。

「美咲さん。もう、何処に行ってたんですか?楽屋口の鍵、開いてましたよ。」

「えぇ!?美也ちゃんがいるから、大丈夫かなって思ったんですけど…」

「もう!美也はアイドルなんですから、留守番に使わないでくださいよ。」

「ごめんなさい…」

「まぁ…以後、気をつけて下さいね。」

「へ?」

豆鉄砲を食らった鳩のような表情で美咲が律子を見ていると、

「今日の律子さんは、なんだか優しいですね~。」

「う、うるさい!ほら、ちゃっちゃと支度して、帰るわよ。」

「はい~。」

「じゃあ美咲さん。戸締まりお願いしてもいいですか?」

「へ!?あ、はい!」

「お疲れ様でした~。」

バタバタとカバンを取り、部屋を出る律子と、それに続いてのんびりと出ていく美也。

取り残された美咲は、少し戸惑っていたが、

「なんだか律子さん、良いことでもあったんでしょうか?さてと!新しい衣装、作るぞ~!!」

二人の空気に元気をもらったように、部屋を出ていった。


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